『北九州~山口 歴史と大自然の旅』 第2日目②
「どこかにマイル」での北九州~山口の旅、二日目の続きです。
青海島のクルーズの後は、しばらくドライブして萩にやってきました。
こちらで、幕末気分を満喫したいと思います。
車を停めて、徒歩でまず訪れたのは『明倫館』です。

ここは長州藩の旧藩校で、幕末には吉田松陰や高杉晋作といった人材を輩出しました。
以前は明倫小学校として実際に使われていましたが、2017年にミュージアムとして生まれ変わっています。

こちらのすごいところは、門や校舎だけでなく、いろいろな施設がそのまま残されている点です。
この建物は、「有備館」という、剣術や槍術の道場です。

道場の床は、今でも黒光りしています。
幕末には土佐の坂本龍馬が滞在し、ここで試合をしたこともあるそうです。

そのまま歩いて、旧城下町に向かいます。
この辺りの路地は、白壁に囲まれた屋敷が当時のままの姿で立ち並んでいます。
まるで幕末にタイムスリップしたかのようです。

そして、この一帯には維新の英傑たちの足跡があちこちに残されています。
まずは維新三傑のひとり、『木戸孝允旧宅』です。

後に木戸孝允となる桂小五郎は、この屋敷で20歳まで暮らしました。
壁には小五郎の書が飾られています。堂々とした字ですが、なんと7歳頃に書いたものだそうです。

萩の名物といえば、やはり夏みかんが有名です。塀の白壁と夏みかんの黄色がとてもよく調和しています。
袴姿の子供たちが、むしって食べている姿が目に浮かぶようです。

角を曲がると、ひと際立派な建物が現れました。「菊屋家住宅」です。
藩の御用達を勤めた豪商・菊屋家の住宅で、幕府巡見使の宿として度々本陣にあてられたそうです。
木戸さんの家と比べると、はるかに大きいです。

そしてこちらは、もう一人の英雄の『高杉晋作誕生地』です。
庭には産湯に使ったといわれる井戸も残されています。

この屋敷は、なんと高杉ファンの個人の方が購入されたのだそうです!
室内に入ることはできませんが、縁側からお部屋の様子や庭を見学することができます。

この界隈には、立派な銅像も建てられています。
左は高杉晋作、右は久坂玄瑞、「松門の双璧」と称された二人です。
ちなみに、高杉は27歳、久坂は25歳の若さでこの世を去っています・・・
![IMG_4259-COLLAGE[1]](https://blog-imgs-133-origin.fc2.com/f/u/t/futokatsu/20200208094431441s.jpg)
車に戻って少し移動します。
祝、世界遺産登録!!
『松下村塾』にやってきました。吉田松陰を祀る「松陰神社」の一角に、建物が残っています。

室内には、お馴染みの松陰先生の肖像画も飾られています。
先ほどの城下町からは結構離れています。毎日歩いて通うのは大変そうですが、思えば皆さん京や江戸までも歩いていた時代、これぐらいの距離はなんでもなかったのでしょう。

最後にもう一か所の世界遺産、『萩反射炉』に到着です。
西洋式の鉄製大砲鋳造を目指した萩藩が、1856年に築いた反射炉です。(結果的には試作どまりだったようです)

どうやらギリギリ日没に間に合いました。
反射炉のある高台からの海の眺めです。静かな港の雰囲気を味わうことができました。

この後は、一気のドライブで新下関駅まで戻ってきました。
レンタカーの都合でここで借りたので、宿のある下関までは電車で移動です。
ところが、本数が少なく次の電車まで30分以上もあります。駅前に一休みできそうなお店もなかったので、売店でビールを買って、ベンチでプチ打ち上げを行いました!

ほろ酔いで電車に乗って、無事に宿に戻ってきました。
今回は少し長めの2泊3日の旅です。明日は午前中に下関を観光してから北九州空港に戻ります。
まだまだ楽しみますよ。
~つづく~
『萩市観光協会』のHP
青海島のクルーズの後は、しばらくドライブして萩にやってきました。
こちらで、幕末気分を満喫したいと思います。
車を停めて、徒歩でまず訪れたのは『明倫館』です。

ここは長州藩の旧藩校で、幕末には吉田松陰や高杉晋作といった人材を輩出しました。
以前は明倫小学校として実際に使われていましたが、2017年にミュージアムとして生まれ変わっています。

こちらのすごいところは、門や校舎だけでなく、いろいろな施設がそのまま残されている点です。
この建物は、「有備館」という、剣術や槍術の道場です。

道場の床は、今でも黒光りしています。
幕末には土佐の坂本龍馬が滞在し、ここで試合をしたこともあるそうです。

そのまま歩いて、旧城下町に向かいます。
この辺りの路地は、白壁に囲まれた屋敷が当時のままの姿で立ち並んでいます。
まるで幕末にタイムスリップしたかのようです。

そして、この一帯には維新の英傑たちの足跡があちこちに残されています。
まずは維新三傑のひとり、『木戸孝允旧宅』です。

後に木戸孝允となる桂小五郎は、この屋敷で20歳まで暮らしました。
壁には小五郎の書が飾られています。堂々とした字ですが、なんと7歳頃に書いたものだそうです。

萩の名物といえば、やはり夏みかんが有名です。塀の白壁と夏みかんの黄色がとてもよく調和しています。
袴姿の子供たちが、むしって食べている姿が目に浮かぶようです。

角を曲がると、ひと際立派な建物が現れました。「菊屋家住宅」です。
藩の御用達を勤めた豪商・菊屋家の住宅で、幕府巡見使の宿として度々本陣にあてられたそうです。
木戸さんの家と比べると、はるかに大きいです。

そしてこちらは、もう一人の英雄の『高杉晋作誕生地』です。
庭には産湯に使ったといわれる井戸も残されています。

この屋敷は、なんと高杉ファンの個人の方が購入されたのだそうです!
室内に入ることはできませんが、縁側からお部屋の様子や庭を見学することができます。

この界隈には、立派な銅像も建てられています。
左は高杉晋作、右は久坂玄瑞、「松門の双璧」と称された二人です。
ちなみに、高杉は27歳、久坂は25歳の若さでこの世を去っています・・・
![IMG_4259-COLLAGE[1]](https://blog-imgs-133-origin.fc2.com/f/u/t/futokatsu/20200208094431441s.jpg)
車に戻って少し移動します。
祝、世界遺産登録!!
『松下村塾』にやってきました。吉田松陰を祀る「松陰神社」の一角に、建物が残っています。

室内には、お馴染みの松陰先生の肖像画も飾られています。
先ほどの城下町からは結構離れています。毎日歩いて通うのは大変そうですが、思えば皆さん京や江戸までも歩いていた時代、これぐらいの距離はなんでもなかったのでしょう。

最後にもう一か所の世界遺産、『萩反射炉』に到着です。
西洋式の鉄製大砲鋳造を目指した萩藩が、1856年に築いた反射炉です。(結果的には試作どまりだったようです)

どうやらギリギリ日没に間に合いました。
反射炉のある高台からの海の眺めです。静かな港の雰囲気を味わうことができました。

この後は、一気のドライブで新下関駅まで戻ってきました。
レンタカーの都合でここで借りたので、宿のある下関までは電車で移動です。
ところが、本数が少なく次の電車まで30分以上もあります。駅前に一休みできそうなお店もなかったので、売店でビールを買って、ベンチでプチ打ち上げを行いました!

ほろ酔いで電車に乗って、無事に宿に戻ってきました。
今回は少し長めの2泊3日の旅です。明日は午前中に下関を観光してから北九州空港に戻ります。
まだまだ楽しみますよ。
~つづく~
『萩市観光協会』のHP
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