『年末の奈良旅行』 第2日目①
年末に行った奈良旅行の二日目です。今日は朝から遠出をします。
電車に乗って明日香村を目指したいと思います。
近鉄奈良駅から電車に乗り、しばらく走ったところで雅な建物が目に飛び込んで来ました。
復原された平城京跡の『大極殿』です。平城遷都1300年の2010年に完成した建物です。
どうやら平城京跡の真ん中を近鉄電車が横切っており、壮大な車窓風景を楽しむことができます。

一時間ほどで『飛鳥駅』に到着しました。こじんまりとした静かな駅です。
正式な地名は奈良県高市郡明日香村ですが、古くからの呼称である「飛鳥」の名が使われています。
今回はこの駅前でレンタサイクルを調達して散策します。もちろん電動アシストです!

最初にやってきたのは、教科書で習った『高松塚古墳』です。
7世紀末から8世紀初頭にかけて造られた古墳で、誰が埋葬されているかは分かっていないようです。
極彩色の女子群像の壁画が有名ですが、劣化を防ぐために石室ごと取り出して修復が行われているそうです。
そしてこの2台が今回の相棒、ヤマハのママチャリ型の電動自転車です。(少し古い型のものでした)

ここ飛鳥地方には、推古天皇の即位(592年)から、持統天皇が藤原宮へ遷都するまで(694年)までの約100年の間に各天皇が宮殿を置いたそうです。そのため、多くの古墳が残されています。
こちらもその一つ、『天武・持統天皇陵』です。現在でも管理は宮内庁が行っています。

ここ飛鳥は、風変わりな石造物が多いことでも知られています。こちらは『亀石』です。
重さ10トンを超す花崗岩に亀の顔が刻まれています。何のために造られたのかは謎だそうです。

明日香村では、このような田園風景の中に、いろんな遺跡が点在しています。
初めて訪れましたが、なんとなく懐かしさを感じる風景ですね。

こちらは『川原寺』です。かつては飛鳥三大寺院のひとつとして栄えたそうです。
手前には当時の柱の跡が残されており、往時の繁栄の様子がしのばれます。

そしてこちらは『橘寺』です。あの聖徳太子が生まれた場所だとされています。
聖徳太子といえば、昔の一万円札が懐かしいですね。

少し走って『石舞台古墳』にやってきました。7世紀初頭に権力を握っていた蘇我馬子の墓ではないかと言われています。
変わった形の古墳ですが、覆っていた盛り土が取れて石室が露出したため、このような姿になったそうです。

ここでは石室内に入ることができました。この天井石は77トンもあるそうです。
今バランスが崩れたら?と思うとちょっと怖くなりました。

近くの休憩場所に、とても可愛らしい黒猫ちゃんの兄弟?がいました。
写真では少し怖そうですが、とてもおとなしくて人に慣れています。年末でエサをあげる人がいないのか、お腹を空かせていそうで、心配です。

こちらは『伝 飛鳥板蓋宮跡』、かつての宮殿跡です。
そしてここが、あの中大兄皇子・中臣鎌足が「大化改新」を断行し、蘇我入鹿を倒したといわれる場所だそうです。

またまた変わった石造物にやってきました。こちらは『酒船石』と呼ばれる巨石です。「お酒」と名が付くと、つい反応してしまいます。
表面に溝が刻まれており、お酒を搾るために使ったのでは、ということでこの名前が付いていますが、実際は何のためのものかは分かっていないそうです。

これまで名前くらいしか知らなかった飛鳥地方ですが、実際に回ってみると見どころ満載です。
電動サイクルも快調なのですが、旧型のためかバッテリーの減りが早いようです。
いつまで走れるのか?とハラハラしながら進まなければなりません。これはこれで悩ましいですね…
~つづく~
『古都飛鳥保存財団』のHP
電車に乗って明日香村を目指したいと思います。
近鉄奈良駅から電車に乗り、しばらく走ったところで雅な建物が目に飛び込んで来ました。
復原された平城京跡の『大極殿』です。平城遷都1300年の2010年に完成した建物です。
どうやら平城京跡の真ん中を近鉄電車が横切っており、壮大な車窓風景を楽しむことができます。

一時間ほどで『飛鳥駅』に到着しました。こじんまりとした静かな駅です。
正式な地名は奈良県高市郡明日香村ですが、古くからの呼称である「飛鳥」の名が使われています。
今回はこの駅前でレンタサイクルを調達して散策します。もちろん電動アシストです!

最初にやってきたのは、教科書で習った『高松塚古墳』です。
7世紀末から8世紀初頭にかけて造られた古墳で、誰が埋葬されているかは分かっていないようです。
極彩色の女子群像の壁画が有名ですが、劣化を防ぐために石室ごと取り出して修復が行われているそうです。
そしてこの2台が今回の相棒、ヤマハのママチャリ型の電動自転車です。(少し古い型のものでした)

ここ飛鳥地方には、推古天皇の即位(592年)から、持統天皇が藤原宮へ遷都するまで(694年)までの約100年の間に各天皇が宮殿を置いたそうです。そのため、多くの古墳が残されています。
こちらもその一つ、『天武・持統天皇陵』です。現在でも管理は宮内庁が行っています。

ここ飛鳥は、風変わりな石造物が多いことでも知られています。こちらは『亀石』です。
重さ10トンを超す花崗岩に亀の顔が刻まれています。何のために造られたのかは謎だそうです。

明日香村では、このような田園風景の中に、いろんな遺跡が点在しています。
初めて訪れましたが、なんとなく懐かしさを感じる風景ですね。

こちらは『川原寺』です。かつては飛鳥三大寺院のひとつとして栄えたそうです。
手前には当時の柱の跡が残されており、往時の繁栄の様子がしのばれます。

そしてこちらは『橘寺』です。あの聖徳太子が生まれた場所だとされています。
聖徳太子といえば、昔の一万円札が懐かしいですね。

少し走って『石舞台古墳』にやってきました。7世紀初頭に権力を握っていた蘇我馬子の墓ではないかと言われています。
変わった形の古墳ですが、覆っていた盛り土が取れて石室が露出したため、このような姿になったそうです。

ここでは石室内に入ることができました。この天井石は77トンもあるそうです。
今バランスが崩れたら?と思うとちょっと怖くなりました。

近くの休憩場所に、とても可愛らしい黒猫ちゃんの兄弟?がいました。
写真では少し怖そうですが、とてもおとなしくて人に慣れています。年末でエサをあげる人がいないのか、お腹を空かせていそうで、心配です。

こちらは『伝 飛鳥板蓋宮跡』、かつての宮殿跡です。
そしてここが、あの中大兄皇子・中臣鎌足が「大化改新」を断行し、蘇我入鹿を倒したといわれる場所だそうです。

またまた変わった石造物にやってきました。こちらは『酒船石』と呼ばれる巨石です。「お酒」と名が付くと、つい反応してしまいます。
表面に溝が刻まれており、お酒を搾るために使ったのでは、ということでこの名前が付いていますが、実際は何のためのものかは分かっていないそうです。

これまで名前くらいしか知らなかった飛鳥地方ですが、実際に回ってみると見どころ満載です。
電動サイクルも快調なのですが、旧型のためかバッテリーの減りが早いようです。
いつまで走れるのか?とハラハラしながら進まなければなりません。これはこれで悩ましいですね…
~つづく~
『古都飛鳥保存財団』のHP
- 関連記事
-
-
『冬の奥日光旅行』 第1日目① 2014/03/15
-
『年末の奈良旅行』 第3日目(最終日) 2014/03/09
-
『年末の奈良旅行』 第2日目② 2014/03/02
-
『年末の奈良旅行』 第2日目① 2014/02/23
-
『年末の奈良旅行』 第1日目② 2014/02/15
-
『年末の奈良旅行』 第1日目① 2014/02/08
-
『出雲大社』に初詣に行きました 2014/01/11
-
トラックバック
ケノーベルからリンクのご案内(2014/02/24 08:50)
高市郡明日香村エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。