『春の関西・三都巡りの旅』 第3日目①
再び春の関西旅行の続きです。記事は三日目からの再開です。
今日は遠出をして、世界遺産・吉野山へ向かいます。
我が家の愛読書、吉川英治さんの「新・平家物語」や「私本太平記」にも登場する、世界遺産でもある吉野ですが、なにぶん遠く、これまでなかなか訪れる機会がありませんでした。
今回はGWの長旅のため、ついに訪れることができます。
朝の近鉄奈良駅で、せんとくんとお別れです。

近鉄特急を乗り継いで、1時間半ほどで「吉野駅」に到着しました。
奈良市内からはかなりの距離ですが、さすがに指定席の特急列車を利用するとかなり楽に移動できます。

吉野の見どころは、すべて山の上です。こちらは山上に向かうケーブルカーの駅ですが、数年前に故障して、それ以後は運休が続いています。さすがの近鉄グループも、ここまでは予算が回らないのでしょうか…?

事前にホームページで調べたところ代行バスが出ているそうです。ところがバス乗り場に行ってみると、バスはありません。
お問い合わせ先に電話をしてみても、係の方もよく分かっていないらしく要領を得ません。
仕方がないので、歩いて登ってみることにしました。
しばらく歩いて、ようやく山の上にたどり着きました。
新緑の木々の間から、先ほどのケーブルカーの駅がずいぶんと下に見えています。

ここ吉野山は世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部を構成しています。
古来から霊場として数々の史跡が残されています。
こちらは、金峯山寺の「銅の鳥居」です。
その名の通り銅製の高さ8mもある鳥居です。もともとは東大寺の大仏鋳造の際に残った銅で造られたとの伝承があるそうです。

いよいよ吉野山のシンボル、『金峯山寺』が近付いてきました。
飛鳥時代に修験道の開祖・役行者によって開かれた長い歴史を誇る総本山です。

国宝の仁王門をくぐって入山します。
仁王門は現在補修の作業中で、これから約10年間・推定工費20億円をかけるとのことで、まさに一大事業です。

山の中に突然、巨大な建造物が現れました!
こちらが「本堂・蔵王堂」です。
高さ34mの規模は、東大寺の大仏殿に次ぐ木造大建築なのだそうです。
現在の建物は1592年頃に再建されたものだそうですが、500年以上も昔に、こんなに山深いところにこれ程のものが建てられていたとは、驚く以外にありませんね。
この時期は、仁王門大修理の勧進として、ご本尊の秘仏「蔵王大権現」の特別ご開帳が行われています。撮影不可のためお見せできませんが、高さ7mもある巨大な3体のご本尊に圧倒されました。

吉野山の見どころは金峯山寺だけではありません。
10分程歩いて、次なる世界遺産『吉水神社』にやってきました。

そして、吉野といえば桜で有名です。
この吉水神社からの眺めは、その名も「一目千本」、千本の桜が眺められるといわれています。
見ると新緑ですが、確かに桜の木のようです。2週間ほど早く来れれば、まだ見ることができたようなのですが、少し残念です。

そんな残念な我が家のためか、横に満開の写真パネルが飾られていました。
確かにこれは素晴らしい!!
いつかまた、桜満開のシーズンに来てみたいものです。

いやいや桜がなくても、この吉水神社はみどころ満載です。
さっそく入場してみましょう。「南朝皇居」と書かれた大きな石碑が建てられてます。

重要文化財の日本最古の書院建築に入場します。すぐに雰囲気のある広間が現れます。
「源義経・静御前 潜居の間」です。
兄・頼朝に京を追われた義経が、静御前・弁慶とともにこの吉水院を頼り、約五日間この部屋に潜伏していたそうです。

その後、義経は山伏姿となり女人禁制の大峰に落ちていきました。この地で別れることとなった静御前の詠んだ歌が残されています。
「吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき」

これだけではありません。お隣の部屋には菊の御紋が飾られています。
なんとこの部屋が「南朝皇居」です!

1336年に後醍醐天皇は京の花山院より逃れ、吉野に潜伏して再起を図られました。その際に一時この建物を皇居として定められ、南北朝の歴史が始まりました。
「太平記」にも登場する舞台の、まさにその場所に来ることができて感激です。

こじんまりとした神社ですが、その歴史の舞台としての価値は計り知れません。
この後は、吉水神社の数々の宝物を見学します。
~つづく~
『金峯山寺』のHP
『吉水神社』のHP