『夏の軽井沢』日帰り旅行①
灼熱の東京をつかの間でも脱出しようと、避暑地の軽井沢に出かけました。
渋滞が心配なので、JRの新幹線での日帰りツアーを選びました。
このツアーは往復の新幹線とランチ、さらに選べるオプションがついて9,900円とかなりお得です。
朝の7時前の新幹線で出発します。快適に揺られて1時間ちょっとすると、もう軽井沢に到着です。これは圧倒的に近い!新幹線を降りた瞬間に、「涼しい~」という声があちこちで上がっていました。
軽井沢プリンスとタイアップしているようで、オプションからはホテルの3時間のレンタサイクルを選びました。とにかくプリンスの敷地が広く、貸出場所の軽井沢プリンス・ウエストまでは歩いて15分以上かかりました。(後で調べたら敷地内の循環バスがありました)
ということで、こちらが本日の旅の相棒です。残念ながら電動アシストはありません。

さっそく走り出します。普通のシティサイクルですが、意外に快調に走れます。
3時間しかないので、定番のお手軽コースを回ることにしました。
まず、『矢ヶ崎公園』にやってきました。駅から徒歩5分のお手軽公園ですが、とてもいい雰囲気です。
池越しに、その形から「テーブルマウンテン」といわれる離山と、その奥に「軽井沢のシンボル」の浅間山を望むことができます。

がぜん気分が盛り上がってきました。駅前の喧騒を離れ『万平通り』を進みます。
道の両側には、これぞ軽井沢といった感じの高級別荘がならんでいます。

お次は、有名な『軽井沢会テニスコート』です。もちろん、陛下と美智子様のロマンスの場所です。
皇室好きの私にとっては、たまらない場所です。
実際は普通のテニスコートですが、ここでプレーしている人たちもどことなくノーブルに見えます。
それもそのはず、調べてみると「軽井沢を愛し、別荘を持ち、正会員2名の推薦を得ること」が入会条件のようです。軽井沢への愛は芽生えた我が家ですが、あまりに高すぎるハードルです。。。

こちらは『旧軽井沢メインストリート』、旧軽銀座とも言われる商店街です。
テレビ等でよく目にするお店が並んでいます。駐輪場が少し離れているので、チラッと見るだけにして、午後に徒歩で再訪してじっくり楽しむことにします。

メインストリートを抜けてしばらく走ったところに、苔むした『芭蕉句碑』がありました。
西欧風のイメージが強い軽井沢ですが、芭蕉にも詠まれているとはさすがです。
「馬をさへ なかむる雪の あした哉」という、雪の降りしきる朝方の往来を行き来する旅人や馬を詠んだ句が刻まれています。「野ざらし紀行」の中の一句だそうです。

句碑の程近くに、『ショー記念礼拝堂』がありました。
「軽井沢の父」と呼ばれる英国の司祭アレキサンダー・クロフト・ショー宣教師によって、明治28年に建てられた軽井沢最古の教会です。

また、この地は「避暑地軽井沢発祥の地」とも呼ばれています。ショー宣教師は、軽井沢を「屋根のない病院」と呼んで絶賛し、軽井沢で最初の別荘を建てて避暑を行ったそうです。
教会の敷地内に、当時の別荘『ショーハウス記念館』が再現されています。

ハウスの内部には、ショー宣教師や教会の歴史等が展示されています。彼の知人の外国人を中心に、避暑地軽井沢が広がっていったそうです。
ちょこちょこしか休まない日本人と違って、長期休暇をしっかり取る欧米人にはぴったりのリゾート地だったのでしょうね。

2階の窓からの眺めです。一面の緑が眩しい!!
避暑地としての評価が高かったようですが、紅葉の時期ならより「日本の美」を感じられたことでしょう。

さすがに、なかなか立派な別荘だと感心していたところ、これには驚きました。
このアルミの桶は、どうやら浴槽のようです。体の大きい欧米人が入れるとは思えない小ささです。
避暑用の別荘だからOKなのか、真冬にこれだと凍えてしまいそうですね。

次に訪れたのも教会です。こちらは『聖パウロカトリック教会』です。
アメリカの有名な建築家が設計した建物だそうで、特徴的な木造の教会です。
私の友達に、軽井沢の教会での結婚式に憧れていた子がいましたが、なんとなくその気持ちがわかる気がします。

内部の見学もできるそうなので、入場してみました。海外旅行では、いろんな教会に入場することがあるのですが、国内の教会にはほとんど入ったことがありませんでした。
石造りの教会と違い、木の温かみを感じることができる空間です。

教会巡りのあとは、少し遠くまで足を延ばします。「三笠通り」を進むにつれて段々と坂道がきつくなってきます。
ふと左手を眺めると『旧スイス公使館』(深山荘)の看板が見えます。
戦時中は駐日スイス公使館が疎開し、あの「ポツダム宣言」受諾の打電が行われたという場所なのだそうです。
軽井沢にこのような歴史的な場所があったことに驚きました。
数年前に建物の取り壊しが決まっていたのですが、各方面からの嘆願により軽井沢町が購入して保存していくことに落ち着いたそうです。

サイクリングはまだまだ続きますが、ここ軽井沢には、自然あり、文化あり、歴史あり、と思っていた以上に素晴らしいです。
この後は、「軽井沢の鹿鳴館」といわれた『旧三笠ホテル』に向かいます。
~つづく~
渋滞が心配なので、JRの新幹線での日帰りツアーを選びました。
このツアーは往復の新幹線とランチ、さらに選べるオプションがついて9,900円とかなりお得です。
朝の7時前の新幹線で出発します。快適に揺られて1時間ちょっとすると、もう軽井沢に到着です。これは圧倒的に近い!新幹線を降りた瞬間に、「涼しい~」という声があちこちで上がっていました。
軽井沢プリンスとタイアップしているようで、オプションからはホテルの3時間のレンタサイクルを選びました。とにかくプリンスの敷地が広く、貸出場所の軽井沢プリンス・ウエストまでは歩いて15分以上かかりました。(後で調べたら敷地内の循環バスがありました)
ということで、こちらが本日の旅の相棒です。残念ながら電動アシストはありません。

さっそく走り出します。普通のシティサイクルですが、意外に快調に走れます。
3時間しかないので、定番のお手軽コースを回ることにしました。
まず、『矢ヶ崎公園』にやってきました。駅から徒歩5分のお手軽公園ですが、とてもいい雰囲気です。
池越しに、その形から「テーブルマウンテン」といわれる離山と、その奥に「軽井沢のシンボル」の浅間山を望むことができます。

がぜん気分が盛り上がってきました。駅前の喧騒を離れ『万平通り』を進みます。
道の両側には、これぞ軽井沢といった感じの高級別荘がならんでいます。

お次は、有名な『軽井沢会テニスコート』です。もちろん、陛下と美智子様のロマンスの場所です。
皇室好きの私にとっては、たまらない場所です。
実際は普通のテニスコートですが、ここでプレーしている人たちもどことなくノーブルに見えます。
それもそのはず、調べてみると「軽井沢を愛し、別荘を持ち、正会員2名の推薦を得ること」が入会条件のようです。軽井沢への愛は芽生えた我が家ですが、あまりに高すぎるハードルです。。。

こちらは『旧軽井沢メインストリート』、旧軽銀座とも言われる商店街です。
テレビ等でよく目にするお店が並んでいます。駐輪場が少し離れているので、チラッと見るだけにして、午後に徒歩で再訪してじっくり楽しむことにします。

メインストリートを抜けてしばらく走ったところに、苔むした『芭蕉句碑』がありました。
西欧風のイメージが強い軽井沢ですが、芭蕉にも詠まれているとはさすがです。
「馬をさへ なかむる雪の あした哉」という、雪の降りしきる朝方の往来を行き来する旅人や馬を詠んだ句が刻まれています。「野ざらし紀行」の中の一句だそうです。

句碑の程近くに、『ショー記念礼拝堂』がありました。
「軽井沢の父」と呼ばれる英国の司祭アレキサンダー・クロフト・ショー宣教師によって、明治28年に建てられた軽井沢最古の教会です。

また、この地は「避暑地軽井沢発祥の地」とも呼ばれています。ショー宣教師は、軽井沢を「屋根のない病院」と呼んで絶賛し、軽井沢で最初の別荘を建てて避暑を行ったそうです。
教会の敷地内に、当時の別荘『ショーハウス記念館』が再現されています。

ハウスの内部には、ショー宣教師や教会の歴史等が展示されています。彼の知人の外国人を中心に、避暑地軽井沢が広がっていったそうです。
ちょこちょこしか休まない日本人と違って、長期休暇をしっかり取る欧米人にはぴったりのリゾート地だったのでしょうね。

2階の窓からの眺めです。一面の緑が眩しい!!
避暑地としての評価が高かったようですが、紅葉の時期ならより「日本の美」を感じられたことでしょう。

さすがに、なかなか立派な別荘だと感心していたところ、これには驚きました。
このアルミの桶は、どうやら浴槽のようです。体の大きい欧米人が入れるとは思えない小ささです。
避暑用の別荘だからOKなのか、真冬にこれだと凍えてしまいそうですね。

次に訪れたのも教会です。こちらは『聖パウロカトリック教会』です。
アメリカの有名な建築家が設計した建物だそうで、特徴的な木造の教会です。
私の友達に、軽井沢の教会での結婚式に憧れていた子がいましたが、なんとなくその気持ちがわかる気がします。

内部の見学もできるそうなので、入場してみました。海外旅行では、いろんな教会に入場することがあるのですが、国内の教会にはほとんど入ったことがありませんでした。
石造りの教会と違い、木の温かみを感じることができる空間です。

教会巡りのあとは、少し遠くまで足を延ばします。「三笠通り」を進むにつれて段々と坂道がきつくなってきます。
ふと左手を眺めると『旧スイス公使館』(深山荘)の看板が見えます。
戦時中は駐日スイス公使館が疎開し、あの「ポツダム宣言」受諾の打電が行われたという場所なのだそうです。
軽井沢にこのような歴史的な場所があったことに驚きました。
数年前に建物の取り壊しが決まっていたのですが、各方面からの嘆願により軽井沢町が購入して保存していくことに落ち着いたそうです。

サイクリングはまだまだ続きますが、ここ軽井沢には、自然あり、文化あり、歴史あり、と思っていた以上に素晴らしいです。
この後は、「軽井沢の鹿鳴館」といわれた『旧三笠ホテル』に向かいます。
~つづく~