『新緑の都心めぐり』ポタリング
昨日の大荒れの天気とうって変わって、朝から澄み渡る青空です。
今日は久しぶりにポタリングに出かけました。新緑の都心をめぐってみたいと思います。
まずは文京区の千石から小石川方面へ走ります。
最初に東京大学付属の『小石川植物園』にやってきました。
その名の通り、植物学の教育・研究を目的とする東大の教育実習施設です。

内部の見学は今度じっくり行うことにして、外側から覗いてみました。
菜の花がとってもきれいに咲いていました!

山手線の内側はアップダウンが激しいので、今日はたくさんの坂を登ります。
まずは、『播磨坂』です。この地にあった松平播磨守の屋敷跡にちなんで名づけられたそうで、桜並木になっています。
もうちょっと早く来ていれば、とてもきれいだったでしょう。

坂の上には「幕末三舟」のうちの二人、『高橋泥舟・山岡鉄舟 旧居跡』がありました。
何故ふたり一緒に?と思ったのですが、調べてみると鉄舟は泥舟の義弟なので、お隣に住んでいたそうです。

せっかく坂を登ったのもつかの間、今度は「お茶の水女子大」と「筑波大付属高」の間の坂道を猛スピードで下ります。
そして下った後は、またもや登り坂です。
『鉄砲坂』という名のこの坂は、東京でも有数の急坂のようです。たまらず自転車を押して登りました。

変わった建物が見えたので近づいて見ました。
こちらは、『東京カテドラル聖マリア大聖堂』です。
カトリックの教会で、設計はあの丹下健三さん(広島平和公園や東京都庁の設計者)だそうです。

一本路地を入ると、雰囲気のあるお屋敷に遭遇しました。
こちらは『蕉雨園』といい、明治時代の田中光顕伯爵の屋敷跡だそうです。
残念ながら内部は非公開でした。

すぐ近くには、『永青文庫』もありました。
ここは熊本藩主でもあった細川家の屋敷跡で、現在は美術館になっています。
今日はお庭の見学だけにして、先に進むことにします。

今度は急な下り坂です。『胸突坂』といい、坂というよりほとんど階段です。
注意書きにあるとおり、自転車を降りて押して下りました。せっかくの下り坂なのに階段なので膝がガクガクです。

坂の途中には、『関口芭蕉庵』がありました。
その名のとおり松尾芭蕉の住居跡なのですが、残念ながら地震の被害で閉園になっていました。

坂の下に川が現れました。『神田川』です。
新緑の向こうに見えているのは、「椿山荘」です。もともとは山県有朋の庭園だったそうです。

ほどなく、早稲田大学に到着しました。有名な『大隈講堂』です。
大学のキャンパスの奥にあると思い込んでいたのですが、普通の道路脇にあったので少し驚きました。
ここにいるだけで、気分は早大生ですね!

そして早稲田と言えば、都内唯一の路面電車である「都電荒川線」の終点でもあります。
ちょうどレトロ車輌が出発するところでした。(調べてみたらレトロ風?車輌で、実は新型のようです)

再びの神田川、『面影橋』です。風情のある名前だな、と思っていたのですが、こんな伝説があるそうです。
戦国時代に、この地に来たという和田靱負という武士の娘於戸姫の伝説である。結婚を断った武士にさらわれ、気を失ったところを杉山三郎左衛門夫婦に助けられ、やがて近所の小川左衛門に嫁いだ於戸姫は、夫の友人に夫を殺され、仇はとったものの、自分の身に相次いで起こる不幸から、家を出て神田川の川辺でわが身を水に写し、亡き夫を想いながら川に身を投げて夫の許に急いだ。里人は於戸姫の心情を思いやり、面影橋・姿見橋と名付けたという。

近くのお寺には、まだきれいな桜が咲いていました。
桜のピンクと新緑の緑と空の青さが素晴らしいです。

またまた坂道を登って、雑司が谷の『鬼子母神』にやってきました。
本殿は1664年に建立されたそうで、とても歴史がある神社です。

こちらの「鬼」の字には角(´)がありません。
これは、鬼子母神がお釈迦様に説教され改心し角を外した、という理由によるそうです。

そしてここには、もうひとつ歴史あるものがありました。
この『上川口屋』は、創業はなんと1781年、およそ230年前にできた駄菓子屋さんです。
今でも子供達が楽しそうにお菓子を買っていました。

そして最後は池袋のランドマーク、『サンシャイン60』です。
地上60階・高さ239mは、完成当時は東洋一の高さを誇ったそうです。

今回は繁華街を避けて、静かな都心をひと回りしてきました。
見所がたくさんあり、変化に富んだコースを楽しむことができました。
通り過ぎただけの場所も多かったので、今度はひとつひとつをじっくりと見てまわりたいと思います。
やっぱりポタリングは楽しいですね!!
【本日の走行記録】
走行距離:15.90km
走行時間:1時間22分
平均速度:11.6km
最高速度:37.0km
今日は久しぶりにポタリングに出かけました。新緑の都心をめぐってみたいと思います。
まずは文京区の千石から小石川方面へ走ります。
最初に東京大学付属の『小石川植物園』にやってきました。
その名の通り、植物学の教育・研究を目的とする東大の教育実習施設です。

内部の見学は今度じっくり行うことにして、外側から覗いてみました。
菜の花がとってもきれいに咲いていました!

山手線の内側はアップダウンが激しいので、今日はたくさんの坂を登ります。
まずは、『播磨坂』です。この地にあった松平播磨守の屋敷跡にちなんで名づけられたそうで、桜並木になっています。
もうちょっと早く来ていれば、とてもきれいだったでしょう。

坂の上には「幕末三舟」のうちの二人、『高橋泥舟・山岡鉄舟 旧居跡』がありました。
何故ふたり一緒に?と思ったのですが、調べてみると鉄舟は泥舟の義弟なので、お隣に住んでいたそうです。

せっかく坂を登ったのもつかの間、今度は「お茶の水女子大」と「筑波大付属高」の間の坂道を猛スピードで下ります。
そして下った後は、またもや登り坂です。
『鉄砲坂』という名のこの坂は、東京でも有数の急坂のようです。たまらず自転車を押して登りました。

変わった建物が見えたので近づいて見ました。
こちらは、『東京カテドラル聖マリア大聖堂』です。
カトリックの教会で、設計はあの丹下健三さん(広島平和公園や東京都庁の設計者)だそうです。

一本路地を入ると、雰囲気のあるお屋敷に遭遇しました。
こちらは『蕉雨園』といい、明治時代の田中光顕伯爵の屋敷跡だそうです。
残念ながら内部は非公開でした。

すぐ近くには、『永青文庫』もありました。
ここは熊本藩主でもあった細川家の屋敷跡で、現在は美術館になっています。
今日はお庭の見学だけにして、先に進むことにします。

今度は急な下り坂です。『胸突坂』といい、坂というよりほとんど階段です。
注意書きにあるとおり、自転車を降りて押して下りました。せっかくの下り坂なのに階段なので膝がガクガクです。

坂の途中には、『関口芭蕉庵』がありました。
その名のとおり松尾芭蕉の住居跡なのですが、残念ながら地震の被害で閉園になっていました。

坂の下に川が現れました。『神田川』です。
新緑の向こうに見えているのは、「椿山荘」です。もともとは山県有朋の庭園だったそうです。

ほどなく、早稲田大学に到着しました。有名な『大隈講堂』です。
大学のキャンパスの奥にあると思い込んでいたのですが、普通の道路脇にあったので少し驚きました。
ここにいるだけで、気分は早大生ですね!

そして早稲田と言えば、都内唯一の路面電車である「都電荒川線」の終点でもあります。
ちょうどレトロ車輌が出発するところでした。(調べてみたらレトロ風?車輌で、実は新型のようです)

再びの神田川、『面影橋』です。風情のある名前だな、と思っていたのですが、こんな伝説があるそうです。
戦国時代に、この地に来たという和田靱負という武士の娘於戸姫の伝説である。結婚を断った武士にさらわれ、気を失ったところを杉山三郎左衛門夫婦に助けられ、やがて近所の小川左衛門に嫁いだ於戸姫は、夫の友人に夫を殺され、仇はとったものの、自分の身に相次いで起こる不幸から、家を出て神田川の川辺でわが身を水に写し、亡き夫を想いながら川に身を投げて夫の許に急いだ。里人は於戸姫の心情を思いやり、面影橋・姿見橋と名付けたという。

近くのお寺には、まだきれいな桜が咲いていました。
桜のピンクと新緑の緑と空の青さが素晴らしいです。

またまた坂道を登って、雑司が谷の『鬼子母神』にやってきました。
本殿は1664年に建立されたそうで、とても歴史がある神社です。

こちらの「鬼」の字には角(´)がありません。
これは、鬼子母神がお釈迦様に説教され改心し角を外した、という理由によるそうです。

そしてここには、もうひとつ歴史あるものがありました。
この『上川口屋』は、創業はなんと1781年、およそ230年前にできた駄菓子屋さんです。
今でも子供達が楽しそうにお菓子を買っていました。

そして最後は池袋のランドマーク、『サンシャイン60』です。
地上60階・高さ239mは、完成当時は東洋一の高さを誇ったそうです。

今回は繁華街を避けて、静かな都心をひと回りしてきました。
見所がたくさんあり、変化に富んだコースを楽しむことができました。
通り過ぎただけの場所も多かったので、今度はひとつひとつをじっくりと見てまわりたいと思います。
やっぱりポタリングは楽しいですね!!
【本日の走行記録】
走行距離:15.90km
走行時間:1時間22分
平均速度:11.6km
最高速度:37.0km